みなさんはミニマリストの末路が知りたいですか?
知りたいからこのブログに辿り着き、記事を読もうとしていますね。
ですので、悲惨ではない理由と、なぜ悲惨だと思われているのかをお伝えします。
2つの視点で考えることにより、悲惨ではないことがより分かると思います。
末路とは?
![ひよこ](https://www.happy-freemaru.com/wp-content/uploads/2022/06/D9D32343-1C48-4DA9-8DE6-6AD485A32D40.png)
悲惨な末路というように、ネガティブなことに使われることが多いです。
最悪な終わり方のような感じですね。
悲惨ではない理由
![本を片手に持ちながら指さすひよこ](https://www.happy-freemaru.com/wp-content/uploads/2022/06/4513DF0A-12B6-4C99-95C0-0FC644939802.jpg)
悲惨ではない理由と、なぜ悲惨だと思われているのか?という2部構成です。
- 満足度の高い暮らしができるから
- 快適になった結果がミニマリストだから
- 合理的に考えられるから
満足度の高い暮らしができるから
ミニマリストでない方は、少なからずミニマリストについて誤解があると思います。
物を買わずに減らして何が楽しいのか?
節約生活みたいな、窮屈な生活をしていると思っていませんか?
ですが、ミニマリストは窮屈な暮らしをしていません。
![](https://www.happy-freemaru.com/wp-content/uploads/2021/07/F21D6BC6-BECA-45E1-938B-E1F84842BBA1-150x150.png)
むしろ、満足度の高い暮らしをしています。
なぜなら、物の多さと満足度は比例しないからです。
例えば、今着ている服は一番お気に入りの服でしょうか?
たくさん物を持っていると、優劣ができます。
着ていない服も出てきますよね。
ミニマリストは物が少ないので、毎日お気に入りで過ごせるのです。
といいますか、そのために無駄な物を減らしています。
極論、1着しか服を持っていなければ、毎日お気に入りで生活できますよね。
このような考え方を持っているので、物が少なくても満足度が高い暮らしができます。
ですので、悲惨ではありません。
快適になった結果がミニマリストだから
ミニマリストになることが、目的ではありません。
自分の生活の最適解を探す過程で、物を減らしているのです。
![](https://www.happy-freemaru.com/wp-content/uploads/2021/09/9164D6E1-6E8C-4811-B6D4-CA438F3E2133-150x150.png)
ミニマリストは快適になるための手段です。
減らすということで快適になることもある。
仕事で考えてみると分かりやすいです。
みなさんの仕事で無駄だと思う雑務はありませんか?
そういう雑務がなくなれば、快適に大切な仕事に注力できます。
快適になった結果が、ミニマリストなので悲惨ではありませんね。
合理的に考えられるから
これは一例ですが、私服の制服化というものがあります。
制服のように、プライベートでも決まった服を着ることです。
これをすることにより、とても生活が楽になります。
なぜなら、毎回出かける時に服を迷わなくて済むからです。
服を買いに行くための、服を選ぶ時間も必要ありませんね。
![](https://www.happy-freemaru.com/wp-content/uploads/2021/07/F21D6BC6-BECA-45E1-938B-E1F84842BBA1-150x150.png)
毎日自分のお気に入りを着れば良いのです。
このように、物事を合理的に考えられるので悲惨にはなりません。
なぜ悲惨だと思われているのか?
![顎に指をつけて考えている女性](https://www.happy-freemaru.com/wp-content/uploads/2022/06/C54A4E4D-34D4-41F8-88B2-93CA2123B29A.png)
- 他者の願望パターン
- 勘違いパターン1
- 勘違いパターン2
他者の願望パターン
人はよく分からないものに対して、良いイメージを持ちづらいです。
ましてや、自分とは違うライフスタイルのミニマリストです。
それを肯定してしまうと、相対的に自分のしていることがダメな気がしますね。
ですので、自分とは違うライフスタイルを送る、ミニマリストが幸せになるわけがない。
そう思いたい、他者の願望というパターンです。
勘違いパターン1
例えば、ミニマリストになって靴を1足にしたとします。
靴が雨で濡れて、次の日も乾かず1足しかないので濡れた靴をまた履いた。
という話を聞いたら、悲惨だと思うかもしれませんね。
ですが、話した本人は笑い話のつもりかもしれません。
要するに、聞き手によって理解が変わってしまうということです。
さらに、そのまま他の方へ伝えられ、ネットなどで拡散されてしまう時代です。
![](https://www.happy-freemaru.com/wp-content/uploads/2021/07/354B3F38-B181-4712-AAB6-B2F59B302A5D-150x150.png)
聞き手の勘違いパターンですね。
勘違いパターン2
ミニマリスト自身が、エンタメとして発信しているパターンです。
先述した、靴の話と似ています。
ですがこのパターンは、ミニマリストの方が、意図的に発信しているということです。
最高とか、最悪とか、どちらかに振り切った話の方が、みなさんが楽しめますよね。
ですので、悲惨という言葉で話を盛っているのです。
勘違いさせられるパターンですね。
悲惨だと思っているのは、ミニマリストでない方の願望であり、勘違いである場合が多いですね。
ですので、悲惨ではありません。
そもそも末路なんてない
![壁を拳で突き破る女性](https://www.happy-freemaru.com/wp-content/uploads/2022/06/B3BAA0CC-4A02-4969-ACF8-6413AF466668.jpg)
末路とは行き止まりのような最終地点です。
ですが、改善に改善を重ねている限り、行き止まりのような限界はきません。
これでいいかと、自分で思わない限り末路なんて存在しないのです。
ミニマリストは、改善を重ね常識を疑い続けた結果、到達する1つの生き方だと思います。
ですので、試行錯誤できる人間に、悲惨な末路なんて来ないと私は信じています。